YOUは何しに日本へ?

鳥濱トメの名言やエピソードは!?孫はいる!?

YOUは何しに日本へ?

みなさんこんにちは!

 

 

RONです。

 

 

今回は8月9日放送予定の「YOUは何しに日本へ?」に特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんが話題になりますので…

 

 

鳥濱トメさんの名言やエピソード、孫の存在について、解説していきたいと思います。

 




 

鳥濱トメさんのプロフィールや経歴について

 

 

まずは鳥濱トメさんについて、プロフィールを紹介していきたいと思います。


・名前:鳥濱トメ(とりはまとめ)
・生年月日:1902年6月20日
・没年月日:1992年4月22日(89歳没)
・出身地:鹿児島県川辺郡西南方村大字坊
・職業:食堂経営者

 

 

鳥濱トメさんは川辺郡知覧町で富屋食堂を営んでいた食堂経営者です。

 

 

戦時中に多くの若い特攻隊員の面倒を見ていたことからも「特攻の母」と呼ばれて親しまれておりました。

 

 

富屋食堂は鳥濱トメさんが27歳の時に開いた食堂で、うどんやそば、丼ものが中心で、夏にはかき氷を出されておりました。

 

 

1942年には陸軍知覧飛行場の開設で、富屋食堂が陸軍指定の食堂になりました。

 




 

鳥濱トメさんと特攻隊員のエピソード①「ホタルになって帰る」

 

 

鳥濱トメさんはかなり気さくな性格だったそうで、その飛行場の少年隊員が出向いた時は我が子のように面倒を見て可愛がっていたそうです。

 

 

彼らもまた遠い地から出向いていた為「お母さん」と呼んで親しんでいたそうです。

 

 

鳥濱トメさんはこの飛行場の少年たちが立派な青年となるまで母親代わりとして、時には私財を投げ打ってまで可愛がっておりました。

 

 

その為、いざ特攻隊員が特攻の日を迎えると色々なエピソードがあったそうです。

 

 

その一つが「ホタルに帰って戻る」という宮川三郎軍曹の言葉です。

 

 

宮川三郎軍曹は6月6日に20歳の誕生日を迎え、その翌日に特攻突撃をすることとなっておりました。

 

 

特攻前日に鳥濱トメさんは宮川三郎軍曹の誕生日を祝うと同時に出撃の為のはなむけとしました。

 

 

空襲警報が鳴り、防空壕へ入るとホタルがいるのを見つけます。

 

 

すると宮川三郎軍曹は

 

 

「死んだらまた小母ちゃんのとこに帰っていきたい。そうだ、このホタルだ。おれ、このホタルになって戻ってくる。」

 

 

「明日の晩の今頃に帰ってくる。店の正面の引き戸を少し開けておいてくれよ。」

 

 

「おれが帰ってきたら、みんなで 「同期の桜」 を歌ってくれよ。」

 

 

この様に語っていたそうです。

 

 

そして次の日の夜、わずかに開いた表戸の隙間から本当にホタルが入ってきました。

 

 

鳥濱トメさんや娘、隊士たちは号泣しながら「同期の桜」を歌ったそうです。

 




 

鳥濱トメさんと特攻隊員のエピソード②「実は朝鮮人なんだ」

 

 

次のエピソードは光山文博少尉のエピソードです。

 

 

光山文博少尉は厳しい訓練の中で休みになると決まって富屋食堂へ訪れていたそうです。

 

 

ですが、かなり大人しい隊員でした。

 

 

しかしある日、光山文博少尉は鳥濱トメさんに「実は朝鮮人なんだ」と告げたそうです。

 

 

実は光山文博少尉の母は戦時中に亡くなり、父から「日本男児」として育てられていたのです。

 

 

そんな時、ついに光山文博少尉も明日に出撃の日を迎えます。

 

 

すると光山文博少尉はお別れに、鳥濱トメさんと娘たちに、祖国・朝鮮民謡の「アリラン」を大きな声で歌います。

 

 

鳥濱トメさんや娘たちはこれを聞いて、泣き崩れたそうです。

 




 

鳥濱トメさんと特攻隊員のエピソード③「小林少尉とのお別れ」

 

 

そして、小林威夫少尉のエピソード。

 

 

小林威夫少尉はかつて教官として知覧に駐在していたことがあり、鳥濱トメさんが可愛がっていた青年でした。

 

 

ある時、久しぶりに小林威夫少尉が鳥濱トメさんの元に訪ねてきます。

 

 

鳥濱トメさんは小林威夫少尉の好きな物を振る舞ったのですが、小林威夫少尉は喉も通らない様子だったのです。

 

 

鳥濱トメさんが「今度はどちら方面に行くの??」と聞くと、小林威夫少尉は「聞かないでくれよ」と言います。

 

 

鳥濱トメさんはここで「この子は特攻隊員に選ばれた」と気がつくんですね。

 

 

鳥濱トメさんは廊下へ出ると割烹着の裾で涙を拭き、途切れることなく涙が落ちたそうです。

 

 

翌日、小林威夫少尉は最期のお別れを鳥濱トメさんに言い、鳥濱トメさんはせめてもの想いとして手作りのおはぎを渡し「部下の下士官の方へさしあげてください」というのがやっとだったそうです。

 

 

こうして小林威夫少尉は永遠の別れを告げ、飛行場へ旅立っていきました。

 




 

鳥濱トメさんの名言とは!?

 

 

多くの隊士を見送ってきた鳥濱トメさんですが、書き残した書物に

 

 

「善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くこと」

 

 

という名言を遺しております。

 

 

鳥濱トメさんは隊士を引き留めることも出来ず、
隊士達の魂の平安を願うことしか出来ませんでした。

 

 

その為、未来に平和が来ることを願って、この様な言葉を遺したかと思います。

 




 

鳥濱トメさんの子孫に関しての情報は!?

 

 

そんな鳥濱トメさんですが、孫や娘の情報はあるのでしょうか??

 

 

まず、孫に関しては現在、南九州市知覧の特攻資料館となっている「ホタル館富屋食堂」で館長を務めていた鳥濱明久さんがおります。

 

 

鳥濱明久さんは鳥濱トメさんの味をそのまま引き継いだお食事「知覧茶屋」を経営されておりました。

 

 

しかし、2021年7月5日に癌の為、60歳でこの世を去りました。

 

 

また、もう1人孫がおり、薩摩おごじょ新宿店を営む赤羽潤さんです。

 

 

赤羽潤さんもまた、鳥濱トメさんのお店の味を継承して営んでおります。

 




 

まとめ

 

 

以上が鳥濱トメさんのエピソードや名言、孫についての情報となります。

 

 

非常に悲しいエピソードであり、この他にも隊士を見送る悲しいエピソードが幾つもあります。

 

 

また、小さい頃から母親として見守ってきた息子の様な隊士を見送るのは非常に辛かったことが窺えますね…

 

 

戦時中の悲しい記憶や情景がよく分かるエピソードかと思われます。

 

 

本当にお見送りをする時は辛かったのですね…

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