杉田秀夫氏は東京大学卒で、瀬戸大橋を作った男!?

みなさんこんにちは!

 

 

RONです。

 

 

今回は6月24日放送予定の「奇跡体験!アンビリーバボー」に、瀬戸大橋を作った男として、杉田秀夫さんが紹介される予定ですので…

 

 

杉田秀夫さんについての情報や、瀬戸大橋誕生の秘話についてを説明していきたいと思います。

 




 

杉田秀夫さんとは!?プロフィールを紹介!?

 

 

まずは杉田秀夫さんのプロフィールからご紹介します。


・名前:杉田秀夫(すぎたひでお)
・生年:1931年
・没年月日:1993年11月17日(62歳没)
・出身地:千葉県

 

 

杉田秀夫さんは四国と本州を結んだ瀬戸大橋製作に携わった技術者であり、四国と本州を初めて陸路で結ぶきっかけを作りました。

 




 

杉田秀夫さんの生い立ちは!?東京大学出身で国鉄入社のエリートだった!?

 

 

杉田秀夫さんは1931年、千葉県で生誕します。

 

 

その後、1937年6歳の時に父親の仕事の都合により香川県丸亀市へと移住します。

 

 

そして、県内でもトップの学校である香川県立丸亀中学校(現:丸亀高等学校)へ進学、卒業し、東京大学の工学部土木工学科へと入学します。

 

 

東京大学卒業後は現在のJRの前身である国鉄(日本国有鉄道)に入社をします。

 

 

非常に優秀な学歴であったことが分かりますね!

 




 

瀬戸大橋建設のきっかけになった「紫雲丸衝突事故」とは!?

 

 

1955年5月11日の時に、本州と四国の間にある瀬戸内海で大きな船の事故が起こります。

 

 

実はこの事故が瀬戸大橋建設のきっかけになったのです。

 

 

国鉄が所有していた宇高連絡船の紫雲丸が、同じく国鉄が保有している宇高連絡船の第三宇高丸と衝突してしまったのです。

 

 

これにより、168人もの命が失われてしまいました。

 

 

最も悲しい出来事は乗客の半数が修学旅行で来ていた小中学生であり、100人程の子供の命が失われたのです。

 

 

実はこの事故は5度目であり、なんと過去に4度も紫雲丸は衝突事故を起こしておりました。

 

 

それだけに、非常に悲劇的な事故であったと言えます。

 




 

事故の原因は濃霧!?

 

 

原因は霧であり、瀬戸内海は度々濃霧に覆われ、運転困難になることが度々あったのだそうです。

 

 

とは言え、濃霧ではあったにせよ、色々と確認不足が引き起こしてしまった事故の様ですね。

 

 

この事故が瀬戸大橋建設の大きなきっかけになります。

 

「橋さえあれば」陸路のみで移動できるので、こうした濃霧による海難事故を防ぐことが出来ます。

 

 

こうして、「再びこの様な悲しい事故を起こさない為に、四国と本州に橋をかけて欲しい」という住民の願いから、本州と四国を結ぶ「瀬戸大橋」の建設のきっかけにもなったのです。

 




 

杉田秀夫さんは瀬戸大橋建設の為、国鉄社員の地位を捨ててまで注力した!?

 

 

当時、杉田秀夫さんは国鉄で「土木技術者」でありました。

 

 

しかし、その腕を買われ、「瀬戸大橋」建設に携わる「本州四国連絡橋公団」が設置されると、坂出工事事務所の所長として、約5千人の人員を束ねるリーダーとなります。

 

 

実は「瀬戸大橋」建設の為に、国鉄を辞めようとするくらい、力を注ごうとしていた様です。

 

 

結果として、杉田秀夫さんは退路を断つ覚悟で国鉄を辞めて、1972年に「瀬戸大橋」建設に注力することになりました。

 




 

瀬戸大橋建設までの苦難が壮絶だった!?

 

 

この瀬戸大橋が完成まで、多々苦難がありました。

 

 

いざ工事を始めようとスタートしようとすると、1973年に起こったオイルショックによる不景気により、工事が延期となってしまうのです。

 

 

これにより、5千人近くいた作業員も30数人にまで減ってしまったこともありました。

 

 

それでも杉田秀夫さんは諦めたり、弱音を吐いたりする様子を見せたことがありませんでした。

 

 

また、この瀬戸大橋の工事は海底50メートルの深さに土台を設置する必要があり、海底調査の為に杉田秀夫さんは自ら潜って様子を確認するなどされておりました。

 

 

そして、この工事を行うにあたり、漁師とも衝突を幾度となく繰り広げた様です。

 

 

工事をする為に海底でダイナマイトを使用する必要があったのですが、このダイナマイトの使用により海中の魚が多く死ぬことが発覚したのです。

 

 

この為、最初は漁師から工事に対して猛反発を食らいましたが、やがて杉田秀夫さんの橋に対する真剣な想いに心打たれ、信頼を得る様になりました。

 




 

追い討ちをかける様に杉田秀夫さんの奥さんが他界した!?

 

 

更には、杉田秀夫さんの最愛の奥さんが亡くなってしまうという不幸に見舞われます。

 

 

どうやら杉田秀夫さんの奥さんは胃がんだったのですが、34歳という短い生涯でこの世を去ってしまいます。

 

 

しかし、こうした不幸があっても、杉田秀夫さんは周囲に心配をかけない様にと、奥さんの病気については伏せておりました。

 




 

瀬戸大橋完成!?杉田秀夫さんの大きな功績に!?

 

 

そして、1978年に着工してから凡そ9年6ヶ月後の1988年4月10日に瀬戸大橋が完成します。

 

 

この功績は非常に大きく、陸路のみで本州と四国を行き来出来る様になったのです。

 

 

完成から5年後、杉田秀夫さんは62歳という若さでこの世を去ってしまいます。

 

 

しかし、杉田秀夫さんが作り上げた功績は確実に今後も語り継がれていきますね。

 




 

まとめ

 

 

以上が瀬戸大橋完成の立役者ともなった杉田秀夫さんに関する情報となります。

 

 

数々の苦難があっても、目標に向かって情熱を持って取り組む姿は学ぶべき所が沢山ありますね!

 

 

今日、四国と本州が行き来出来る様になったのも、杉田秀夫さんの功績によるものではないかと思われます。

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