みなさんこんにちは!
RONです。
今回は4月2日放送予定の「ガイアの夜明け」に日高屋のラーメンでもお馴染みの株式会社ハイデイ日高の会長、神田正さんが出演予定ですので…
神田正さんの経歴や家族に関する情報、また年収や資産に関する情報などを公開していきたいと思います。
神田正さんのプロフィールについて
まずは神田正さんのプロフィールから紹介していきたいと思います。
#日高屋
ちょっと検索すれば解る話だが…『日高屋 麺が固まって』
↑これで検索すると、麺が固まったまま出されたという話がゾロゾロ出てくる。が、
元々日高屋は、そこがいいんじゃねぇかw
ほぐれてない麺を喰いたい時は日高屋行くw神田正「俺、客が多い時はスープにお湯入れて水増ししてたw」 pic.twitter.com/xcdlF6ypX0
— 非 後悔 (@9TAWotP3hfume4h) August 22, 2020
・名前:神田正(かんだただし)
・生年:1941年(2021年4月現在80歳)
・出身地:埼玉県入間郡高萩村(現・日高市)
・学歴:高萩中学校卒業
・所属:株式会社ハイディ日高 代表取締役会長
神田正さんの経歴について
神田正さんは1941年に埼玉県日高市に生まれ、小学生の頃から家計を助ける為に働きに出ていたそうです。
ゴルフ場でキャディの仕事をやっていたり、中学生の頃には新聞配達もされていたそうです。
中学卒業後はキャバレーのボーイも経験するなど色々な職業を経験し、ラーメン屋で働き始めます。
1968年に埼玉県の岩槻ラーメン屋で働いておりましたが、とある常連のお客さんからラーメン屋の店主を任される様になったそうです。
そのラーメン屋は1年で閉店してしまいますが、それでも店を引き継いでくれる人が見つかったのだそうです。
「日高屋」設立の経歴は!?
その後、1973年に大宮で「来来軒」を開業し、深夜営業を中心にしていたそうですが、大ヒットしたそうですね!
その2年後には同じく大宮に「来来軒」の2号店を開業。
しかしこの時、会社員が外食でランチする様に変わり、ラーメン屋においても多店舗展開へ方向転換をします。
神田正さんの実弟である町田功さんと義弟の高橋均さんと共に3人の共同経営体制となりました。
その後、3店舗目出店を機に西川口に、自身の育った地名を取って「日高屋」としてラーメン屋をオープンさせることとなったのです。
1978年に有限会社日高屋を創設し、代表取締役社長に就任します。
その後、1983年には有限会社から株式会社へ。
1993年には北区の赤羽に店舗を拡大しますが、とんこつや味噌のバリュエーションを増やすも失敗に終わってしまったそうです。
ここから、アルコール類が売れる店へとコンセプトが統一、1998年には「株式会社ハイデイ日高」となり、現在に至ります。
神田正さんの家族に関する情報は!?
そんな神田正さんのご家族に関する情報ですが、どうやら神田正さんも含めて4兄弟なのだそうです。
父親は戦争で負傷するも何とか生還しますが、働けるような状態でなかったそうです。
なので、母親と2人で生計を立てていたのだそうですね。
ちなみに先程挙げた町田功さんは実弟で、高橋均さんは義弟なのだそうです。
高橋均さんは株式会社ハイデイ日高の現・代表取締役社長として就任されております。
考え方も神田正さんと同じ様なものだそうですね!
神田正さんの年収や資産に関する情報は!?
さて、そんな神田正さんですが、年収や資産の情報も気になりますね!
こちらの情報によれば、何と年収は1億4千万円もあるとのことです。↓
ハイデイ日高の取締役の役員報酬は総額は1億5千万ほどだそうですので、普通に他の取締役への分配を考えると3,000〜4,000万円程だとは思います。
ですが、神田正さん自身は自社株の15%以上を保有しておりますので、株の配当金で1億円近い数字である様ですね!
総資産額も79億円だそうですので、相当の資産を持っていることが分かりますね。
まとめ
以上がハイデイ日高の会長、神田正さんの情報になります。
神田正さんは非常に従業員を大切にしており、従業員に感謝しすぎて怒ったことも殆どない様です。
これが非常に話題となっていて、すごく素敵な人柄だと言われています。
みなさんもこんな会長さんの下で働けると幸せですよね!
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